<前回までのあらすじ>密林をお散歩中に道に迷い、遭難してしまった森ガールのみさこ(仮名)さん。行き倒れ、助かる見込みを見失っていた彼女は、しかし密林の奥深くに暮らす謎の女性を見かける。一縷の望みをかけ、女性の住む家の扉をノックするみさこさんは……こつこつ、という音は、雨の音の中をすり抜けて、意外にも森に響いた。しかし、小屋の中からは返答は聞こえない。こんな夜更けに、しかもこんな場所で訪ねる者などないと、さきほどの女性は思っているのだろうか。それとも雨が窓を叩く音に、紛れてしまっているのだろうか。「ごめんください。道に迷って、足を怪我して歩けないのです。お願いですから、助けてください」みさこさんはありったけの声を上げて、家の中の人物に呼びかけた。それでもまだ、家の中からの応答はなかった。森の中に住んでいて、不審者も強盗もなかろうに。飢えた獣がわざわざ扉をノックするわけもない。ノブを回してみても、しっかりと鍵がかけられている。「お願いします、このままでは死んでしまいます。……ちょっと、家の前で人が死んでいてもいいっていうの!?」こちらは文字通り死にものぐるいなのである、この際脅迫くらいさせてもらう。たいていの人は、家の前で見ず知らずの人間が死んでいるのは我慢がならないだろう。しかもこんな、他に人のいない森の中で。これはもう、否が応にも出てきざるを得ない状況だ。……それでも、みさこさんの周りには、雨風の音以外が鳴ることがなかった。「そんな……」いっそ窓を割って勝手に入ってやろうかと思った。窓からは暖かな火の燃える色が滲んでいる。あまりの応答のなさに、先ほどの人影は幻覚だったのかと思いもしたが、幻覚ならば暖炉に突然炎が燃え上がるわけもない。人がいて、なのにこちらの呼びかけには応えない。やはり森の奥深くに住む人間、人嫌いなどの理由があるのだろうか。それとも、頭がおかしくてここに捨てられた、もしくは……ここで今にも、死のうとしているとか?「うそ……」慌てて窓に走り寄る。家の中を覗き込んだ。家の前で人が死んでもいいのか、と言った逆の状況、家の中で、みさこさんの目の前で人に死なれたらと思うのは、行き倒れとは別の恐ろしさがあった。どうかそれだけは止めて……死ぬならせめて私にこの小屋を譲って、私の目につかないところで死んで!覗いた家の中に、人影はなかった。生きている人間も、死んでいる人間も。ワンルームの小さな部屋だった。左手に出入り口になる扉のある壁には幾つものドライフラワーがつり下げられ、窓と対面する壁に炎が燃える暖炉、その前には揺り椅子があり、中央には小さな丸テーブルと2脚の椅子が置かれ、片方に黒い服が掛けられている。水の滴る黒い外套……先ほどの人物のものだ。みさこさんの覗いている窓の下に、パッチワークのカバーがかけられたベッドがあった。キッチンはなく、暖炉の上に金網が乗せられ、周囲にフライパンや鍋が壁にかけられて、傍の床に水を張った盥が置いてある。床も壁も板張りで、床の中央に、毛皮らしいラグが敷かれている。そして右手のもう一面の空いた壁には、籐の箪笥と本や何かの瓶が並んだ棚、そしてもうひとつの扉があった。裏口だろうか、と思うと同時に、その扉が開いた。中から黒い服を着た人物が走り出してくる。人物は部屋をまっすぐに突っ切り、出入り口の扉に向かう。途中椅子に足の小指をぶつけたらしく、行程の半分はけんけんになった。出てきてくれた……!みさこさんは慌てて、扉の前に戻る。同時に扉が開いた。「はぁはぁ……いらっしゃい?」足の小指を痛そうに押さえながら、人物は言った。やはり女性だ……外国人らしく、白い肌に金色の髪をした美女だった。先ほど見かけた外套と大差のない、黒く袖と丈の長い、飾り気のないワンピース……みさこさんはそれと見て、「ローブ」という言葉を思い出した。「ごめんなさいね、出てくるのが遅くなっちゃって。その……ちょっと手が離せなかったものだから」ちらりと先ほど女性が出てきた扉を見ると、開けっ放しの扉の向こうに、剥き出しの土の真ん中に掘られた穴と、キメの荒い紙の束が見えた。中にもドライフラワーが下げられているが、穴の周りを数匹の蝿が飛び回っていた。「ああ……」部屋の用途と、女性が出てくるのが遅れた理由を察し、みさこさんは思わず声を漏らした。女性は慌てて扉を閉めに行き、もう一度、今度は逆の足の小指を椅子にぶつける。「さ……寒かったでしょう? 服を脱いで火に当たってちょうだい。今何か、温かい食べ物でも用意するわ!」「ありがとうございます」みさこさんは言われたとおりに服を脱ぎ、手渡された毛布にくるまって暖炉の前の揺り椅子に座った。女性が薬缶に水を入れ、湯を湧かす。女性があの部屋から出てきた後に手を洗っていたかは、考えないことにした。芯まで冷えた体が、炎と毛布の温もりで温められていく。かじかんで強ばった手足がほぐれていくのが判った。助かった……ようやくみさこさんは思った。「それにしても、こんな森の奥で何をしていたの? わたしが言えたことじゃあないんだけれど」「あの、実は私……」みさこさんはそこで、彼女とまだ挨拶も、名前も名乗っていないことを思い出す。まずは改めてお礼を、と口を開こうとしたとき、「あなた、森ガールでしょ?」突然背後から、酒臭い息と共に別の声が聞こえた。「きゃぁあ!」みさこさんが振り向くと、そこにはいつのまにか、ぐっしょりと濡れ水を滴らせた女が立っている。真っ黒な髪は、ウェーブが落ちかかったように乱れて、顔に半ばかかっていた。その姿は、有名な井戸から出てくる少女にそっくりだった。「さ……さだこ!」しかし彼女の名を口にしたのは、みさこさんではなかった。この家の主である女性だ。「お邪魔するよ、リリー。珍しいね、お客さんだなんて」「そうね、貴女以外では初めてだわ。……でも、床をあんまり濡らさないでと言ったでしょう」「これは失礼。なんせこの雨だもんでね」「貴女はいつもびしょぬれじゃないの」「え……し、知り合い?」驚いたみさこさんに、リリーと呼ばれた家主は困ったような笑みを、さだこと呼ばれた貞子はにやりと嗤った。よく見ればさだこは、みさこさんと似たような服装をしている。ゆったりとしたチュニックワンピース、だがその色は苔のようなモスグリーンで、ぼさぼさの頭と相まって、陣痛が辛くてなりふり構っていられない妊婦のようだ。だが手には、焼酎の一升瓶を持っている。……酒臭い息の理由はこれか。「ようこそ、街から来た森の住人。あたしは沼ガール。近くの沼のほとりに棲んでいる」「ぬ、沼ガール?」「そう、森ガールになりたくてなりきれず、沼を選んだ者。そして彼女は街から離れ、森以外に住むところのない……」さだこはリリーを示し、リリーは微笑んだ。「魔女ガールよ。森ガールから進化した、魔女の家にようこそ」続く……?